三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

今日の父

北京に戻ってから、日々、母がメールで父の様子を送ってくれる。

私が日本に着いて、5日目ぐらいだったか・・・2日間ほど、父は「ハイ」な状態で、目をかっと見開き、まばたきせず、家族・友人との会話も調子よく、すごく驚いた。普段話さない父からは考えられないほどの饒舌ぶりだった。ニコニコ笑って、楽しそうに話していた。

医師によると二酸化炭素が体内に貯留傾向(CO2ナルコーシス)になると、少し酔っ払ったような状態になると言う。きっと、その2日間はそんな状態で舌も滑らかになったのだろう。母は、入院中話らしい話もしなかった父といろいろと思い出話や楽しい話ができたと、とても喜んでいた。

と、その日以降、だんだん目を閉じている時間が長くなり、少し目を開けてはまた寝るという状態になった。家族のことは分かる、話しかければ返事はする。ベットから起きたいからおこしてくれとか、お水が飲みたいとか、トイレに行きたいとか、自分ができない事を忘れてしまっているようだった。

ここ数日は、それが顕著に現れてきたらしい。体内の二酸化炭素貯留傾向が強まっているのだろう。

昨日は「ここに拉致されて来た」と。

自分が入院している事を忘れてしまうらしく、「何で入院しているのか、こんなに長くかかるのか」と。

母が妹のところに夕飯をご馳走になりに行くといえば、「俺も行く」と。

もちろん、今でも母や妹・甥っ子の事はちゃんと分かるけど、多くのことが分からなくなってきているらしい。

母が帰るといえば、「俺はどうやって帰るのか、誰が連れていってくれるのか」と聞いたり。

家に帰りたいんだよ・・家族のそばにいたいんだよ。言葉の端端に、本当の欲求が見える。