三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

暦がひと回りして、年表にしてみた④2014年

あっという間に6月も末に、5月連休明けから体調が低空飛行で日常生活を送るのが精いっぱいでした。過去のきつい時間を思い出して書くという作業に向き合うのは、なかなかハード、最近やっと体調が上向きになり、さてと・・・という感じです。

 

2014年 家族4人が3LDKにひしめく、ここから数年が一番きつかった。まずは

 

二男が高3~浪人

高校卒業、3年間・・・当たり前に様なことに思えるが、長男は留年・不登校で卒業式に当の本人も家に居なかったので、そういうことを考えると二男の高校卒業に立ち会えることは感慨深かった。(クラス役員をやったり、卒業式や謝恩会も参加できたし、ママ友もできたし)大学受験は国立一本、他は全く受けず・・・センター試験の結果でかなり難しいと思っていたが、結果は不合格。予備校通いを決め、授業以外は部屋にこもる浪人生活でした。相変わらずだんまり不機嫌のまま。いつになったらこの態度は変わるのか・・・

 

長男はひきこもり 21~22歳

昼夜逆転、食事も不規則、ゲーム三昧の日々。リビングのテレビでゲームをするので、それが私のストレスになる。特に私はシューティングゲームの銃声音を聞くのがたまらなく嫌で、自室にゲーム機を移動してやるように言うと、回線をつなぐためリビングから自室まで太く長いケーブルを引き、それが邪魔で私や夫と衝突(のちに無線でつなぎこの問題は解決)。お風呂も入ったり入らなかったりで、まるで長身長髪の浮浪者が家にいるようでした。

 

不満だらけの夫

思春期に離れて暮らした息子たちはとにかく「父親」と交わろうとしない。帰国後の仕事、同期に比べてポジションも期待通りではない状況にイライラを募らせていた。その上息子たちへの苛立ちもある。関係性を築く努力より、飲酒で解消しようとするので、私も息子たちもさらに距離を置き、避けるようになっていた。家飲みで野球を見ては文句を言い、ニュースを見ては文句を言い、リビング以外居場所のない私は、夫の愚痴や文句、ネガティブな言葉を聞くのが本当に嫌だった。

 

不定愁訴の嵐の私

そんな3人と暮らす私は、積もり積もったストレスと疲れと更年期で、あちこち不調だらけ。ヨガ、鍼灸に通い、漢方も飲んだり、アロマテラピーを受けたり、いろいろできることはしつつも、心は晴れない日々に体調もアップダウン。このころから、不登校やひきこもりの本を読んだり、家族の会に行ってみたり、支援や対応について自分なりに調べて始める。夫に対しては「働いて収入を得る」こと以外期待せず、私は主婦としてできることをやろうと割り切って過ごすことにしていた。私は夫に「態度が変わらないなら、二男の大学受験が終わったら離婚したい」と切り出したが、夫は「自分を変える努力するから離婚はしたくない」と。ほんとに変わるのか?期待半分、とにかく様子を見ることにして、万が一用にモラハラ言動の記録はつけ続けた。