三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

⑨2019年 二男就職する

2019年

二男 大学4年~社会人1年目(24歳)

二男が卒論を出し、卒業のメドが立ったころをみて、就活の話をした。二男の専攻はどこでも活かせるのに、本人は総合職にはなりたくない。何になるか分からないから嫌だ、何かになりたいと、つまり専門職が良いと言っていた。就職課勤務の私は、直近の企業説明会や面接会のパンフを持ち帰り登録させ、興味のありそうな求人も検索し情報提供したり、また仲良しの信頼できるキャリカウンセラーさんにお願いして面談をしてもらったり、短期決戦、集中的に協力した。結果、2月に新横浜のIT企業にプログラマーとして採用が決まった。プログラマーという専門職で、二男も職種がはっきりしているので、納得したようだ。

ホッとした。肩の荷が下りた。しかし社会人になっても、態度は変わらず。仕事にはちゃんと行っているが、様子は分からず。(新入社員なのに、社員旅行にもいかず)

11年前いただいたご縁で、たまたま就職課では働くことになったけど、きっとこのために繋がっていたのだろうと思った。

 

長男 26~27歳

スーパーの契約社員3年目になっていた。場所柄、外国人の買い物客が多く、商品陳列の他に免税カウンターでの対応も仕事になって、英語も活かせやりがいも出て、職場の人たちとも交流があり、順調に続けていた。が、正社員さんたちの働き方を見て、このスーパーで正社員になるつもりはないとも言っていた。

 

二男の就活のサポートができたことは、私の大学の就職課で11年の勤務の「ごほうび」だったかもしれない。就職課の窓口で学生の様子や変化を見て、学生たちの置かれている様々な状況も耳にしてきた。また新聞や雑誌、世の中の流れや現代の若者の動向など、日々学生のために情報収集してきた。山のような求人情報を読み解くコツも得ていた。学生のキャリアをサポートする仕事を通じて、奇しくも息子たちのサポートに繋がる力を付けられたのだった。いただいたご縁のおかげ、大事にしなきゃと再認識したのだ。

⑧2018年 二男出戻る

2026GW最終日、明日から仕事か・・・5月ってこんなに天気不安定だったかしらね

さて2018年~もう8年も前なんだな。

 

二男 大学3年~4年(23歳)

変わらず月一夕食に顔を出すが、滞在時間1時間ほどで、何も話さず帰る。就職活動はしているようだが、うまくいっていない様子はなんとなくわかる。一人暮らしはもうすぐ2年、8月でアパートの契約更新、このまま卒業までアパート暮らしをすると思っていたら、青天の霹靂。「家に戻って良いか」と、二男から連絡があった。戻るのは構わないが、単身赴任中の父の部屋しか使えないから、父が帰省中は部屋を空けること、それで良ければ戻ってきたらと伝えると、「戻る」と。家に戻った二男はゼミで大学に行く以外は、部屋にほぼ籠り、就職活動は止まっていて、悶々としているのが伝わる。不機嫌で何も話さないが、どう見ても「おかしい」背中は丸まり、痩せて、ちょっと鬱っぽいように見えた。とにかく卒業確定までは何も言わず見守り、ご飯を食べていれば良いと思うことにした。就活がうまくいかず、卒業を前に心身不調になり、このまま1人暮らしは無理と思い、出戻ることにしたのだろう・・・

 

長男 25~26歳

スーパーの契約社員で週5日フルタイムの勤務を続けていた。職場の方々との交流があるらしく、登山や飲み会など、休日も出かけたり、職場でかわいがっていただいている様子だった。とりあえず、私としては一安心。

 

⑦2017年 長男脱ひきこもり、働く

はてなブログから「1年ぶりに」のメールがきました。ただいま2026年GW、来年2月夫の定年が秒読み、長男は子供部屋おじさん。二男は自立してます。

10年前に遡るなんて記憶はかなり怪しいが、記録として書いてみよう。

 

2017年

二男 大学2年~3年(22歳)

大学のそばのワンルームアパートで独り暮らし。月一の顔出しは守って家にやってくるが、何も話さず、食事を済ませると何も言わすさっさと帰る。滞在時間1時間。大学には通っているようたが、何を考えているのか、まったく分からなかった。3年の夏ともなれば、就活スタート、どうするつもりなんだろうか?

 

長男 24歳~25歳

2016年末に相談したK2の事業所、大船の「湘南・横浜若者サポートステーション」に通い始めた。週5日いろいろなセミナーや就労支援があり、行ける日、受けたいセミナーの日に通うこと約2か月。2月終わりに横浜のスーパーマーケットでの就労体験を通じて、3月からアルバイトとして勤めることが決まったのだ。

最初サポステに通うにあたって「毎日行ける自信がない・・・」と弱気になったり
通い始めると「昼飯食ったから昼代くれ」と駅のレストランで千円越えのランチを平然と食べたり

交通費もどんぶり勘定で「くれ」と言ったり

長男の金銭感覚ズレてる(そういえば高校の時も学食と帰り腹減るからおやつ代で1日1000円くれと言ってきたこともあったな・・・)

ともあれ、動き出し、社会につながった
この時はほんとに嬉しかった、ほっとした、肩の荷が少し下りて、希望が持てた。

アルバイトは4時間/日、アルバイトすることを決めても、毎日行けるか不安と言ってたが、3か月後には契約社員として週5日フルタイムで働くことを本人が決めたのだ!

ほんとにほんとによかった(´;ω;`)ウッ…

 

夫の事業部全体が京都に移転することが決まり、夫は9月京都へ単身赴任。
正直ほっとした、これで夫の飲酒言動から解放される。

 

二男のことは気になりつつも、2017年は長男の高校進学(2008年)以来、私が最もホッとできた年だったような気がする。

2025年 長男就職

またまたかなり間が空いてしまいました。

 

2025年2月長男が就職しました!

 

ほんとに長かった15年・・・

高2原級~不登校~家出~かろうじて卒業~1年家出(行方不明)~自宅に戻り3年引きこもり~スーパーの契約社員(5年)~再び引きこもり

 

2020年~2022年

コロナ渦で従業員間の交流が全くできなくなり、免税の仕事もなくなり、面白みもやる気を失って週4日勤務に減らしました。

 

2022年 3月にスーパーを辞め、ハローワークに半年通いましたが、ひきこもり

2023年 ひきこもり

    夏頃メンタルクリニックに通院開始、そこで診断がつき毎週通院と服薬治療

2024年 就労移行ITスクール

    長男自身ここ↑に通いだしました。

    1年1か月、週5日通い、役所での手続きも自分でしたようです。

    障がいをオープンにした求人の紹介を受け

    本人の「英語を使う」という希望も叶って

    12月に外資系IT企業から正社員の内定をいただきました。

 

勤務開始から2か月半、出社と在宅を組み合わせて仕事をしています。

通院開始までは時間はかかりましたが(病院探しは私も手伝いました)診断名については本人も予測していたこともあり、病名がはっきりして「やっぱり」という安堵感につながったようでした。

 

もしかしたら発達障害かもしれないと思い、メンタルクリニックの診察を受けましたが、「発達障害とは言えない」という診断だったそうです。その後、同じクリニックに再診し、別の診断名が付きました。

 

服薬や生活習慣を整えながら、一生付き合っていく病気だと、本人も自覚しており、通院~就労支援~役所手続き~就職まで、長男自身がやれたことは、本当に良かったと思います。

 

とにかく、ほんとに、ほんとに、ホッとしました。

 

しかし・・・二男の気持ちは頑ななままのようです。家族と距離を置きたい気持ちはまだ変わらないようです。自立はしているけど、まったく家には顔を出しません。二男の気持ちが和らぐのはいつになるのかな。

⑥2016年 二男一人暮らし

2016年

二男 大学1年~2年(21歳)

何も話さない状態は変わらず、前期の単位落としの通知から大学には通っていたが、いわゆる大学生らしく楽しんでいるかと言えば、そんな様子はなく、ほぼ大学⇔家の往復だけで、部屋に居る時間が長く、何を考えているのか、まったく分からなかった。

 

そんな二男が8月に入り急に「大学のそばで一人暮らししたい」と言ってきた。大学はちょっと不便な場所ではあるが、うちから1時間かからず行けるところで、充分通えるが、3LDKのマンションに大人4人がひしめくこの家で、兄の状態、父との関係、二男なりにに今の状況を打開したいのだろうというのが感じられた。家賃4万+光熱費・食費として2万=計6万/月までの援助、あとはアルバイトで稼ぐことを条件に許すことにした。

 

8月のうだるような暑さの、大学近くの部屋を3か所内見、不動産屋さんの車でも何もしゃべらず。。。日当たりはよくないが、予算内の大学の近くのワンルームに決める。不動産屋さんで契約を済ませると、そそくさと一人帰宅。希望通りに一人暮らしのサポートをしたのに、何の言葉もなかった。何をしても虚しさだけが残る。【家賃4万のアパートの初期費用は26万、一人暮らしスタートは最低でも50万は必要と実感】

 

引っ越しにあたり、引っ越し代、必要な家電代はすべて自分で見積手配すること(安い引っ越業者を探し、家電最安値を探す)その費用は援助。9月、すべて自分で手配した二男は、あっという間にアパートへ引っ越していった・・・何の言葉もなく。一人暮らしの条件として、月に1回は家に戻り、夕飯を食べることを約束した。

 

10月一人暮らし後、初の顔出し。帰宅し、元の部屋に直行すると、そこが長男の部屋になっていたことに気づきリビングへ・・・黙って食事を待ち、こちらの質問に「うん」と短く答えるだけ、食事を済ませると何も言わすさっさと帰る、滞在時間1時間。こんなことの繰り返しだったが、約束は守って月一帰ってきた。住む場所を変えて、何かが変わるのかと期待したが、私の目には変わったようには見えなかった。

 

 

長男 23歳~24歳

変わらずゲーム引きこもり生活。ただ、二男が引っ越したことで、リビング続きの部屋から元二男の部屋に移動した。またこの年、私の妹から甥っ子の英検合格のための家庭教師の依頼があり、週1回家庭教師に通うことも始めていた。※結果甥っ子は無事英検に合格!

 

ロールカーテンで仕切ったリビングの一角で寝ていた私も、長男がいたリビング続きの部屋に移動。夫の長時間夕食や外で飲酒して帰宅したときの言動やテレビの音量といった、夫からのストレスから逃れて、安心して寝ることができるスペースが確保できた。※いびきと臭い(アルコールが分解される)で夫と同じ部屋では寝られない。

 

二男がアパートに引っ越してから、ひしめく空間と重い空気に少し余裕が出たせいか、私も少し動けるようになってきて、横浜でのひきこもりについてネット調査を開始、10月赤レンガでK2ひきこもりの集中相談会があり、それに参加、初めて相談した。

【終了しました】不登校・ひきこもり集中相談会(無料)赤レンガbyK2開催|K2インターナショナルグループ

このイベントで話を聞き、夫にも相談し、長男に話してみると、今までどんな提案をしても「自分で何とかする」と言っていた長男が、初めて「行ってみる」と。。。やっと、やっとだ。

 

11月に面談を予約、まずは親子3人で面談、長男1人で面談、親だけで面談。この時初めて「発達障害と言われたことはありませんか?」と質問されたことを今でも覚えているが、この時は長男にその可能性があるとは、私自身少しも思っていなかった。

 

その後本人だけの面談をして、長男は1月からK2の事業所、大船にある湘南・横浜若者ステーションに通うことになった。2016年の終わり、少しトンネルの向こうの光が見えてきた気がした。

トップページ│湘南・横浜若者サポートステーション

 

2023年 ひきこもりふたたび

長いこと振り返りもストップしてしまい、書けずにいました。

その理由は「長男ひきこもりふたたび」という状況になっています。まさか2回目が12年の時を経てやってくるとは思いませんでした。

 

2022年3月、長男は5年勤めていたスーパーを辞めて、

「英語を使った仕事をしたい、勉強もしたい」と意気揚々と未来の目標を語って「仕事をしながら、次の仕事を探そうと思ったが、できなかったから、辞めてから探す」と言って3月は有休消化、4月退職後から職探しに入ると思って見守っていました。

 

雇用保険の待期期間の3か月で、職探しするだろう、5年間スーパーで働いたし、次の目標もあると思って見守っていましたが、特に動きはなく、昼夜逆転のゲーム生活。失業手当をもらってから働くつもりかもしれないと・・・

 

雇用保険の支給期間の3か月間、ハローワークに行く姿はありましたが、それ以外は特に変化なく、昼夜逆転のゲーム生活。オンラインで自費でキャリアカウンセリングは受けていると話してはいたが、具体的な応募をしている様子は見えませんでした。

 

10月仕事を辞めて半年たって、私もしびれを切らし「仕事探しはどうなってるの?」と聞くと、「うるさい、ほっといてくれ」生活リズムは崩れ、食生活も乱れ、お風呂も入らない(1週間に1回程度)に完全なひきこもりになっていきました。

 

働いていた時も「部屋が汚い」「仕事に出かけるのがギリギリ」、そういう所が気になって、↓2冊の本を読んでみたら・・・

内容が、長男の行動や様子にピッタリ当てはまり「ADHDかグレーゾーンかもしれない」という思いが強くなっていました。体の多動は違うなと思いましたが、体が多動でもそうでなくても、脳の中が多動ということを知り、であれば、おそらくそうであろうと思うようになりました。

 

「やりたいと思っていても動けない、ゲームに逃げる」

「ぎりぎり行動」「片づけが苦手」「先延ばし・面倒くさい」が口癖

困ったときや苦しい時「自分の気持ちを言葉にして伝えない」

小さい時の様子や行動パターン

高校生の時の不登校・家出・ひきこもり

いろいろなことが、もし「ADHDかグレーゾーンかもしれない」なら、今まで起きたことが、パズルのピースがカチャっとはまるように、理解できる気がしたのです。

 

しかし、もしそうなら、私は12年前より年を重ねているし、このまま放っておくわけにはいかない、8050問題は他人事ではないと思い、早目に行動に移すことにしました。11月半ば過ぎにとある就労支援事業所に相談に行ってみると「とにかく来ていただければ何とかします」「障がいの診断がないと本格利用はできない」が体験はできるということで、長男に意を決して話してみることにしました。

 

親の年齢や、小さい時から今までの長男の行動、この先の人生のこと、真剣に、細心の注意を払いながら「個性」「凸凹」という言葉を使い話をしてみました。

 

長男にとっては晴天の霹靂で、おそらく話を受け止めるのに時間が必要と思い、時間をおいて「就労支援に相談に行ってみないか」と声掛けすると、「行ってみる」と即答。12月本人が予約し、相談に行き、3日間の体験も無事通ったので、そのまま通所、診察につながり、うまくいくと思っていたら・・・結果「行かない、まだ自分が発達障害かどうかわからないし、診断を受ける準備もできていないし、もし発達障害だったら受け止める準備もできていないから」と・・・

 

まぁ長男の気質を考えれば、当然だったかもしれないが、期待していただけに、すっかり気落ちした。気を遣いながら話したり、新しいところに相談に行くのは、精神的にも肉体的にもかなりの疲労で、たいてい数日後に腰痛、体全部ががちがちになってしまい体調を崩す、若い時とは心身ともに耐えられる度合いが違うことをしみじみ感じる。だから話す時は、自身の心身もケアをしながら、自分の体調の良い時に、そして長男の調子の良さそうな時を見計らって話す、そんな進め方しかできない。とにかく焦らず焦らず。

 

12月末は父親と部屋の大掃除、新しい机の組み立てをし、小学生からの机を粗大ごみに。新たな気持ちでスタートできるように、苦手なところをサポートしたが、動きはなく、生活は変わらず。

 

今年1月半ばころに「何か具体的に動いてるの?」と聞くと、「動いていない」

「働く気持ちはあるんだよね?」「働く気持ちはある」「11月にも話をしたけど、親も年を取るから、先のことを考えて動いていかないといけない。診察や支援を受ける準備ができていないけど、働く気はあるなら、アルバイトでもいいから探して応募しよう」「わかりました!」と。

 

この会話を受けて、私は長男ができそうな英語を使う仕事や近所のアルバイトなどの求人情報をチャットで送ってみたが、反応が全くなかった。

 

「チャット見た?」「働く気はあるというなら、行動しないと」というと

「今は病院に行きたい、自分が発達障害がどうか知りたい」

「本も読んだが、自分には多動がないから、ADDだ」

「病院の予約取れるまで、他の支援やサポステに行ってみたら?」

「行かない、今はとにかく病院に行く」

 

11月に話をしてから約2か月、本人の口から病院に行くという言葉が出たので、これは一歩前進。一緒に近所の病院探しをし、本人が病院を予約、診察を受ける予定になった。会話の中から本やネットからいろいろ発達障害について勉強しているのが分かった。

⑤2015年二男大学生になる

気になりつつ、気づいたら10か月もほったらかし。久しぶりに書こう!順調に入力してたのに、画像貼り付け、取り消しとかしてたら、文章消えちゃった(泣)

 

2015年

二男 浪人~大学1年

おめでたいはずが、紆余曲折の1年。第一志望の国立に不合格となった時点で、合格していた私立に行くと思っていたが、受けないと思っていた国立後期試験を知らないうちに受けていた。結果合格し、その国立に行くと、急に言ってきて・・・

【左手を引き戸で挟まれた事件】

私はどういうことなのか、二男の部屋に聞きに行くと、結論だけで詳しく話さず、もう話すことはないとばかりに、引き戸をバンッとすごい勢いで閉めた。「痛いっー!」戸柱に手を置いていた私、左手を挟まれた。手はみるみるグローブのように腫れて、湿布してあわあわしながら、この家にいては心身おかしくなる。腫れや痛みは気になったが、とにかく出勤、職場で応急手当してもらう。でも私の異様さを察した職場のみなさんは心配そうに話しを聞いてくれた(泣)帰宅時に病院に寄りレントゲン診察、骨に異状なく打撲だった・・・打撲の痛みよりも感情の処理が追い付かない。なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの?感情がぐるぐるして苦しかった。

【入学式】

「入学式はいつなの」と聞くと「来なくていい」と。いくら第一志望でなくても大学生となる二男を祝いたい気持ちだったのに、何でそういうこと言うかな、本当に悲しい。祖母が状況を見かねて二男に「入学式、お母さんだって見たいのよ」の一言で、態度を軟化。二男は一人先に会場へ、私も一人入学式を見に行った。嬉しそうに入学式の看板の前で写真を撮る親子の姿がうらやましく、複雑な気持ちのまま会場を後にし出勤。

【ダブルスクール】

大学が始まって1~2週間たった時、急に「公認会計士の資格を取りたいからダブルスクールに行かせてくれ」と言ってきた。まだ大学も始まったばかり、大学でも資格系の授業はあるだろうし、公認会計士の勉強サークルとかもあるから、まずは大学の授業を優先と話すと、「行くはずだった私立の学費と国立の学費の差額があるだろう、それで行かせてくれ」と・・・

私は目が点になった。この時、なぜ私立でなく国立を選んだ理由が分かった。第一志望に行けなかった、学歴格差を資格で埋めようと考えたようだ。

それなら、資格をとって公認会計士として将来働きたいのかと聞くと「別になりたいわけではない」と・・・なりたくないなら、ダブルスクールは必要ない。差額を使うなら、留学や本当にやりたいことが見つかった時に考えればいいということで、二男はダブルスクールをあきらめたが、前途多難を予感させるスタートだった。

【大学から手紙】

前期が終わり、夏休みに入ると大学から保護者宛てに手紙が届いた。「前期必修科目○○単位落としているので、学生本人と面談します」という内容だった。二男に確認すると「やる気が起きず、出席しなかった」と。はぁー--切り替えて大学に行ってると思ったら、溜息しかでない。

【長引く反抗期】

面談も受け、ヤバいと思ったらしく、授業は行っているようだった。アルバイトはしている様子がなく、相変わらず何も話さない。大学生活の様子は全く分からないが、分かったことは、ボルダリングサークルに入ったことと昼ごはん。実費支給にしていたので昼代の学食のレシートには品目とカロリーがしっかり書いてあった(笑)大学生活を楽しんでいる感じは伝わってこず、大学にとりあえずいって「こなしている」という感じだった。不本意入学をいまだ引きずっているのか、他責か、何を聞いても無視、何も話さない、「おれにかかわるな」という威圧感がすごかった。

 

長男 22~23歳

変わらずゲーム三昧、昼夜逆転の引きこもり生活。

この頃、私は「何かできることはないか」と公的支援や引きこもりに関するサイトで情報収集している中で

ヒューマン・スタジオ | 不登校・ひきこもり生活研究所

に巡り合い、代表の丸山氏のメルマガ、著書を読んで希望をもらった。ヒュースタのHPで親の会「しゃべるの会」というイベントを見つけ、参加してみることにした。同じ悩みを持つ親御さんたちと、それぞれの思いを打ち明けたり、丸山さんからアドバイスいただくこともできた。この時自分が動いたことで、勇気といつもと少し違う空気を感じていた。

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この会の後、長男にはまずは身体良くしよう、背骨気になるから整体に行ってみないかと話すと「行ってみる」と、近所の整体院に定期的に通いだした。長男の引きこもり生活の中で初めての前向き発言と行動だった。

 

相変わらずのマイペース、飲酒言動で家族はほんとに迷惑していた。浪人して第一志望の国立受験のラストチャンスの二男が、2月の二次試験の前に私に言ってきた「明日と明後日だけは静かにしてくれと父さんに頼んでほしい、いびきでうるさくて眠れない」

夫に「この2日だけ、飲んで帰ってくるな、静かにする」と二男にとって大事な2日間であることをコンコンと言い聞かせた。が、2日目の夜、約束は平然と破られ、飲んで帰宅、帰宅時バタンバタン騒音、うるさいいびき・・・息子が2年間頑張ってきて、たった2日、たった2日なのに、自制ができないのだ。しかも翌朝、予期しないことが起きた。

 

二男が二次試験に出発し、ほっとしたところ、インターホンが鳴った。画面には見知らぬ若い女性の姿「●●さんのお宅ですか?」

「はい、そうですが。どちら様ですか?」

「○○にある飲食店の従業員で、昨夜お宅のご主人が私の携帯を持ち帰っています」

「はっ?・・・・」

「スマホの位置情報でここが分かり、こちらに尋ねてきました」

 

つまり夫がバーかスナックの女性従業員の方のスマホと、自分のスマホを取り違えて持ち帰ってきたのだ。

 

ほんとに呆れた。息子が静かにしてほしいと懇願したのにもかかわらず。スマホを取り違えるほど飲んでくるとは・・・(このことは二男には伝えていないが)

 

二男も私も、怒り心頭だった。もうあきらめた、何を言っても、何を期待してもダメだ、この人は。この出来事で夫に対しての信頼は完全にゼロになった。もうこの先一緒に暮らしていけない。

 

ひきこもり長男
不機嫌大学生の二男
飲酒言動で家族に当たる夫
更年期の私
ひしめく家族、どうなるのだろう・・・先が見えない