最後のカンファレンス
7月29日、お天気がよかったので、掃除をしようと、布団干し、シーツの洗濯、じゅうたん掃除など、結局お昼頃までかかってしまった。
3時からのカンファレンスに同席するため、妹が甥っ子をうちの子供たちに預けるためにやってきた。連れてくる途中、タイミング良く昼寝をしたかと思ったら、布団に寝かせたとたん、ぱちっと目がさめた。
そんなこんなで、病院到着が2時ごろとなってしまった。
「遅くなって、ごめんね。」の母の一言。父は目を開いていた。髭剃りが壊れてしまったので、新しい髭剃りで、久しぶりにひげをそって、顔を拭いて、さっぱり。
でも今日は昨日より弱っている感じがする、気のせいか?
声が聞き取れないほど、かすれて、小さかったの。昨日はもっと大きな声だったのに・・・
「サバボください」
「サバボって何?ポカリのこと?」
「そう・・・」
大き目の綿棒にポカリを浸して、口へ持っていく。昨日まで、「チューチュー」と吸っていたのに、今日は吸わない、吸えないみたい。おかしい・・・なんかおかしい。あごを上下させながら、呼吸している。
そのうち、私たちの問いかけにも、声は出なくなり、うなずくだけになっていった。やっぱり、何か違う、おかしい・・・
予定通り3時から、カンファレンス、結局それが最後のカンファレンスになってしまった。
医師から、父の状態の説明があった。
「敗血症から持ち直したのは奇跡です。これほどがんばれる患者さんはいません」
「呼吸器内科医師全員、もうこれ以上がんばらせるのは酷だというふうに思っています」
私たち家族も、もうこれ以上父の苦しむ姿は見たくない。このまま、静かに送りたいと申し出た。
医師から、今朝と比べると、状態が悪くなっているようなので、再度血液検査。結果、CO2が今朝よりかなり溜まってきているとのことだった。
カンファレンスが終わって、部屋に戻ると父は目を開けて待っていた。
父が同席できなくなってからは、母と妹で出席していたカンファレンス。父は寝ずに、母と妹が部屋に帰ってくるのを待っていたそうだ。病状が厳しくなるにつれ、父にすべて話せるわけではない。母は涙がおさまってから、父のところに戻るので、「遅い」と看護士さんに尋ねるときもあったらしい。
目は開いてはいたけど、焦点が定まらない、目が合わない。でも、私たちの話していることは聞こえているらしい。脈拍数が落ちてきている。
母が「明日はお祭りだから、おうちに帰ろうね」というと
父は、起きれない体を起こそうと、ベットの柵をぐっとつかみ、自分で起きようとした。
手を大きく、上に上げて、体を起こしてくれとばかりに、母と私の手をつかんだ。帰りたいんだね。
夕方、私は一足先に、病院を出た。目線を合わせて、「また明日ね」と父に言うと、少しだけ、表情が緩んだように見えた。それが、父と交わした最後の言葉となった。
夜6時過ぎ、妹のだんなが、父に会いに来てくれた。母もいったん家に帰るので、送り届けてくれた。みんな、今までと何か違うと感じていた。
3時からのカンファレンスに同席するため、妹が甥っ子をうちの子供たちに預けるためにやってきた。連れてくる途中、タイミング良く昼寝をしたかと思ったら、布団に寝かせたとたん、ぱちっと目がさめた。
そんなこんなで、病院到着が2時ごろとなってしまった。
「遅くなって、ごめんね。」の母の一言。父は目を開いていた。髭剃りが壊れてしまったので、新しい髭剃りで、久しぶりにひげをそって、顔を拭いて、さっぱり。
でも今日は昨日より弱っている感じがする、気のせいか?
声が聞き取れないほど、かすれて、小さかったの。昨日はもっと大きな声だったのに・・・
「サバボください」
「サバボって何?ポカリのこと?」
「そう・・・」
大き目の綿棒にポカリを浸して、口へ持っていく。昨日まで、「チューチュー」と吸っていたのに、今日は吸わない、吸えないみたい。おかしい・・・なんかおかしい。あごを上下させながら、呼吸している。
そのうち、私たちの問いかけにも、声は出なくなり、うなずくだけになっていった。やっぱり、何か違う、おかしい・・・
予定通り3時から、カンファレンス、結局それが最後のカンファレンスになってしまった。
医師から、父の状態の説明があった。
「敗血症から持ち直したのは奇跡です。これほどがんばれる患者さんはいません」
「呼吸器内科医師全員、もうこれ以上がんばらせるのは酷だというふうに思っています」
私たち家族も、もうこれ以上父の苦しむ姿は見たくない。このまま、静かに送りたいと申し出た。
医師から、今朝と比べると、状態が悪くなっているようなので、再度血液検査。結果、CO2が今朝よりかなり溜まってきているとのことだった。
カンファレンスが終わって、部屋に戻ると父は目を開けて待っていた。
父が同席できなくなってからは、母と妹で出席していたカンファレンス。父は寝ずに、母と妹が部屋に帰ってくるのを待っていたそうだ。病状が厳しくなるにつれ、父にすべて話せるわけではない。母は涙がおさまってから、父のところに戻るので、「遅い」と看護士さんに尋ねるときもあったらしい。
目は開いてはいたけど、焦点が定まらない、目が合わない。でも、私たちの話していることは聞こえているらしい。脈拍数が落ちてきている。
母が「明日はお祭りだから、おうちに帰ろうね」というと
父は、起きれない体を起こそうと、ベットの柵をぐっとつかみ、自分で起きようとした。
手を大きく、上に上げて、体を起こしてくれとばかりに、母と私の手をつかんだ。帰りたいんだね。
夕方、私は一足先に、病院を出た。目線を合わせて、「また明日ね」と父に言うと、少しだけ、表情が緩んだように見えた。それが、父と交わした最後の言葉となった。
夜6時過ぎ、妹のだんなが、父に会いに来てくれた。母もいったん家に帰るので、送り届けてくれた。みんな、今までと何か違うと感じていた。