三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

ロンドンのテロに思う

ロンドンでまたテロが起きた。前回のテロから2週間たってのことである。立て続けに、また市民の足であるバスや地下鉄が狙われて、市民はどれだけ不安だろうか?

私は2000年12月から2003年の3月まで、アメリカ首都Washington DC隣のVirginia州 McLeanという所にいた。DCからはポトマック川を渡り車で20分ほど、首都DCで働くたくさんの人が隣のVirginia州とMaryland州に住んでいた。

2001年9月11日、アメリ同時多発テロの時、McLeanにいた。

最初はうそかと思った。テレビで流れるNYのビルの様子を見たのは、長男がスクールバスに乗った直後の事だった。

テレビを見ていると、今度はPentagon(Virginia州 Arlington)で何か爆発したというニュースが飛び込んできた。

夫にすぐ連絡した。夫の働くビルからも、ペンタゴンの煙が見えたという。

二男はこのときKingergartenだったので、午後から登校。Faifax County Public SchoolのHPをいくら見ても、早帰りも午後Kingergartenのキャンセルもない。「どうしよう・どうしよう、登校させるべきか・・・」

スクールバスが来た、けど、誰も乗っていない。明らかにみんな自主的に休みにしたみたい。とりあえず行かせよう、家でこのテレビをずっと見てるよりいいから・・・

避難指示が出て、夫が昼過ぎに戻ってきた。二男の事が気になり、学校に行って様子を見てくると、たった数人しか登校していなかった。「先生が大丈夫、心配しないで」と。

下校の時刻になり、スクールバスに乗せず、その日は迎えに行った。学校前は、たくさんの保護者であふれていた。

翌日、学校は休みになった。普段と何も変わらない日のようだったけど、近所の人たちの顔からは笑顔が消え、不安が見えた。家の軒先には星条旗が揚げ始められた。

それからしばらくして、炭素菌によるテロ。本当にあの時は不安だった。今ロンドンの人たちも同じだろう。