三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

胡同(フートン)

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今週、胡同・南鑼鼓巷にいってきた。前述の赤星タクシーで、北京に来てからずっと興味のあった胡同(日本語で横丁)に友達と出かけた。

初めは遊覧三輪車に揺られながら、胡同を見て、後海方面へ行こうと考えていたけど、三輪車ではすっと通り過ぎて、よく見れないのでは?と、カフェやレストランも並ぶ南鑼鼓巷を歩いて見ることにした。

感想は・・・歴史的町並みと日常が混在している。正直言えば、実際、日常に押しつぶされそうだった。でもこれが北京なんだ、北京の庶民の暮らしがここにあるんだなって。

看板のある重要保存建物はどこも「公開していません、立ち入りお断り」だったけど、1箇所だけ、入場料5元を払うと見せてくれるところがある。茅盾故居、作家茅盾の故居で記念館、四合院の造りや生活ぶりが少し伺える。*注:昼休みはあいてません。

途中お茶した憩軒坊のお母さんがいろいろ話してくれた。(友人の通訳)今の胡同は、ほとんど、建物は改築され、その当時の生活様式はほとんど残っていない。今でも、庶民は、ほとんどが2部屋20平米ぐらいのところに、3世代が同居しているとのこと。下水道が完備されていないので、今もトイレや台所のない家がほとんど。なるほど、そこここに公衆トイレがある訳だ。(実は、地下には、昔、緊急招集用に作られた地下通路があると)

かと思えば、政府関係者や要人などが住む、立派な門構え、ガレージ付、門はしっかり閉められた大きな家もある。中はきっと住みやすいように改築してるんだろうな。また、住人のいなくなった古い胡同の家は売り出され、改築し外国人が住むということもあるらしい。

そうだ、一つ気がついたのは胡同は涼しい。敷地にも胡同にも木々が多く、また、前海や後海からの風のせいかもしれない。それに、路地を一本は入れば、車も少なく静か、しかし、でこぼこの細い道に自転車・歩行者、車が入ってくるのも事実だけど。

胡同は建物、様式、設計などの資料がなく、生き証人もいないため、復興したくてもできないそうである。門構えの前にある石像みたいなものも(置物のような)今残っているのはほとんどが土台だけで、その上にあったものは破壊されてしまって、わからないそうだ。

本当は、こういう古い町並みや建物は保存したいのだろうけど、そこまで手が回らないというのが、よくわかる。日常をそこで暮らす人があまりにも多すぎる。いっそ、移設して明治村みたいに「胡同村」作った方が早いかもしれない。胡同はどんどんつぶされてるし、庶民はどこへ行くのかな。

帰りに、鼓楼(時報の太鼓のある楼)から北京の街を眺めた。胡同がこわされていた。残る胡同の家々はびっしりと肩を並べるように建ち、屋根には飛ばされないようにと石が乗っていた。ふと遠くを眺めると、近代的な高層ビルやマンションが見え、ここだけ取り残されているようだった。

胡同のことがわかって、充実した日だったけど、なんだかちょっと悲しかった。