三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

”まんだらけ”だらけな中野ブロードウェイ

一時帰国のときの話。私は中野育ち、だから小さい時からよく中野サンモールやブロードウェイには買い物・食事と出かけていたので、「庭」のようなものだった。

浅草めぐりをして翌日、長男は西東京の友達と遊ぶ約束があり、一人でひばりが丘へ。母と私は、次男が喜びそうな所はないかといろいろ考え、まんだらけ&なつかしの街「中野」に連れて行くことにした。

約16年ぶりにゆっくりと歩いた。サンモールは店が結構変わっていたので、母と「ここはxxやさんだったよね。この店はまだあるね・・・」などと話しながら、ブロードウェイへ。

ブロードウェイもサンモールと同じく店が変わっていたけど、建物の造りは以前とぜんぜん変わっていない。こんなに天井が低かったかなぁと思う。古いからなぁ・・・

知ってる人は知ってると思うけど、中野ブロードウェイには上層階にマンションがあるのだ。アーケード入ってすぐにマンションの入り口があって、当時(40年以上前だと思う)としては珍しいセキュリティもいるマンションだったんだ。「青島幸雄が住んでたんだよぉ~」って次男に言っても、わかるわけないけど。

そして、いざまんだらけのある3階へ。まずは、私にとって懐かしい明屋書店(はるや)、中野で本を買うといえば、明屋と決まっている。まんだらけは20年ぐらい前からか、中野にでき始めたと思う。

次男はお気に入りの野球漫画をゲット。長男がもしここにいたら、1日中出てこなかったかもしれない。

漫画だけではない。トレーディングカード、キャラクター文具、おまけ、ヒーロー物、なつかしのキャラ物など、あらゆるものが販売されていた。母と二人「ごみに捨てる前にここにもってこなきゃ!」と家にある古いサンリオ物に思い巡らせた。

3階にはまんだらけ買取専門店があって、オタク風の人、男性が多かったけど、皆いろいろなものを持ち込んで買取してもらっていた。その上、外見から見て多分?路上生活者と思われる人たちが漫画を持ち込んでいたのには驚いた。捨てられた本を探し集めて持ち込んでるんだろうけど、どんな方法でも、生きるすべはあるもんだと感心してしまった。

ブロードウェイは3階も、2階も、4階も、"まんだらけ"だらけ、他のコレクターショップもたくさんあった。また、買い物客の中に外国人を見かけた。彼らは日本語がわかるか知らないが、漫画やカードをたくさん買っていた。中野はいまや、世界のアニメ・漫画ファンが集まる街になったらしい。

なつかしのわが街・中野はすっかり漫画・アニメ・キャラの街に変貌していた。

地下の有名なソフトクリームやさんに寄るのを忘れた!とその日の夜思い出した。あの、超特大のソフトクリーム次男が喜んだに違いない。