三都ものがたり、その後

息子たちの自立までの記録、現在格闘中です。【過去ログに北京情報もあります】

暦がひと回りして、年表にしてみた①2008~2011

2008年に帰国してから暦がひと回りしました。2021年13年目が始まり、家の状況も一時期に比べればかなり落ち着いてきているので、ここらでこの12年をまとめておこうかと思います。

 

2008 長男高校入学 二男中学入学

日本に帰国、2人の息子とも希望の学校への入学が決まり、本当に晴れ晴れとした気持ちで迎えた春から、一転長男の思春期の問題言動で、家庭内が荒れ始める。

 

長男:1時間半の電車通学、公寓からバスで5分の北京と比べるとかなりの環境変化。中学時代から夜更かし→朝ご飯も取らずに登校ということが多かったが、高校に入りこちらの話は通じず、遅刻や欠席で結果成績不振。「部活はやらず、バンドをやる」と言い、遊び、深夜帰りなどなど、やりたい放題だった。小遣い問題も勃発。昼代、おやつ代、服・カバン買うから金くれと、私の常識を超える要求をしてくる。時給に目がくらみ1時間もかけて遠方でバイトしてみたり、何事も経験かと思うが、こちらの話は全く通じない嵐のような思春期の始まり。

 

二男:電車通学、中学生活スタート、元々おしゃべりだが、中1は特に学校での不公平な出来事をよく話していた。兄とは正反対で生活習慣もきっちりしていたので、手がかからず、助かった。部活は軟式野球

 

私:大学時代の恩人の紹介でパートの仕事を始める、パート先で心の友に出会う。週3日仕事と家事の両立、弁当作りや久しぶりの通勤で体力が奪われるのを気力で何とかカバーしていたが、息子の変化に不定愁訴が増え、くいしばり、首肩こり、腰痛に悩まされる。

 

夫:中国で単身赴任。

 

2009 長男高2 二男中2

長男:思春期の嵐はひどくなり、日々衝突、部屋は荒れ、遅刻欠席が増える。

 

二男:思春期に入り、まったく口を利かなくなる。塾に通い始める。兄の姿に、何もできない私に苛立ち、コミュニケーションを避けているように思えた。

 

私:世界卓球のボランティアに参加。様々な不定愁訴、腰痛、首肩こり、頭痛、くいしばり。息子を持つ同じ経験をしたパート先の心の友に話を聞いてもらう。

 

夫:中国内転勤、単身赴任。

 

2010 長男原級、高3になれず高2 二男中3 市内で引越

長男:出席状況と成績で留年、高3に進級できず。地元の高校へ転校も考えるも受け入れ条件と合わず。「留年するなら、退学して、音楽の専門学校に行き、音楽で飯を食っていく」と超現実離れに呆れるやら悔しいやら情けないやら。原級経験者の友人の説得もあり、高校に残ることを決断するも、通学はほとんどできず。遅刻欠席が増え、不登校となる。夜眠れない、このままの出席状況では退学となってしまうと切羽詰まって、いやいやながら精神科を受診し、診断書をもらい学校へ提出する。

 

二男:長男の様子をずっと見ていた二男、関わりを持たず、何も話さず。学校生活の様子は友人母から聞く限り充実していたようだが、先生に話しを聞くと家族のことで「もやもや」を抱えていることが分かる。長男が留年したことで学費が余計にかかることを気にしてか、進路について何の相談もなく「公立1本で行く」と、三者面談で先生と説得、息が詰まる状況だった。

 

私:息子たちのことで悩み苦しみ辛い日々、様々な不定愁訴、プレ更年期。長男は通院せず、私がその精神科の先生に話を聞いてもらうようになる。長男が辛い状況だったので、二男が運動会や部活で楽しそうに活躍する姿を見ると、余計に嬉しかった。

 

夫:中国で単身赴任。

 

家:12月同市内で引越、ジプシー生活は終わり、やっと家が決まる。

 

2011 長男進級高3 二男高校進学

東日本大震災の年

長男:診断書、また担任の先生のおかげもあり、なんとか高3に進級したものの、五月雨(ぽつぽつ)登校、そのうち無断外泊、欠席、長期無断外泊が続くようになる。大学付属の高校だったので、進学には卒論提出が条件、テーマは決めたが、不登校が続き、再度精神科受診し診断書を提出。無断外泊でいくら連絡しても返事のない日々が続く。

 

二男:高校進学。先生の説得もあり何校か受験し、超進学校に入学。どんな高校生活になるか・・・めでたい春のはずが、何も話さず、とげとげしい冷たい態度が増す。

 

私:二男の高校受験が終わったものの、変わらぬ息子たちに悩み苦しみ辛い日々、様々な不定愁訴、プレ更年期突入。継続して長男の精神科の先生に話を聞いてもらう。

 

夫:中国単身赴任、帰国か?インドか?

インドの子会社で昇進のポジションで異動の打診があり、夫から「一緒にインドにいきませんか?」と言われ、このタイミングで?この言葉!に呆れるやら驚くやら「家族がこんな状態なのに、その選択はない、とにかく帰国を」と話す。距離が離れていることは、こんなにも自分本位にしか考えられなくなるものか・・・サラリーマンにとって昇進を選びたい気持ちは分からなくはないが、今じゃない!期待外れでがっかりする。息子たちの進路には無関心で、元々自分優先だったが、ここまでかと、夫に対する不信感の始まり。

 

①2008~2011 嵐の真っただ中、「何でだろう、何でだろう」という言葉が頭の中をぐるぐるしていました。今日はここまで、2012~年表②に続きます。